広島呉にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には、可能な限り詳細に再現しました10分の1の戦艦「大和」の縮小模型が展示されているようです。映画の後で私は呉へ行きたくなりました。

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日本帝国海軍の上層部の平山忠道造船中将(田中泯)は世界に威厳を示すための巨大戦艦大和の建造に意欲を見せるが、海軍少将の山本五十六(舘ひろし)は今後の海戦には対航空機戦闘を考えた航空母艦の方が必要だと主張する。進言を無視する軍上層部の動きに危険を感じた山本は、元帝大生の天才数学者・櫂直(菅田将暉)を軍に招き入れ、特別会計監査課課長として、平山案の見積もり金額の嘘をあばくために海軍主計少佐に抜擢する。櫂の役割は、戦艦大和の設計図も建築資材や人件費などの見積もり資料を隠蔽妨害された状態でありながら、卓越した数学的能力をもって大和建造にかかる高額の費用を試算し、軍部の陰謀を暴くことだった。

7月に紹介する2本目の作品の時代の舞台は、丁度、日清戦争(1894年/明治27年~1895年/明治28年)と日露戦争(1904年/明治37年~1905年/明治38年)で勝利して、その軍事力に自信を持っていた日本帝国軍が、真珠湾攻撃で開戦する第2次世界大戦開戦前の、昭和8年(1933年)の日本軍の中枢が集まった幕僚会議室のことから始まる、開戦直前の緊張した戦争映画『アルキメデスの大戦』(2019年公開、 山崎貴監督)でした。戦争は会議室の中で始まっていた。

「週刊ヤングマガジン」連載の三田紀房原作コミックをネタ本にした日本戦争史の、いかにも劇画らしいドラマチックな戦争秘話の映画です。だから、単にこれまでの戦争映画のように連合軍と日本、ドイツの敵味方の攻防に終わらずに、或はベトナム戦争中東戦争の戦闘交戦を描く映画に終わらない戦争映画でした。劇画らしいドラマチックなシーンは、恰も最高機密巨大戦艦「大和」の誕生秘話が海軍士官が集まる会議室を覗くように描かれているのは、この作品の最高の魅力だろうーネ。

広島呉にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現しました10分の1の戦艦「大和」の縮小模型が展示されているようです。映画を見た後、私も呉で見たくなりました。ミュージアムでは映画公開前に戸髙一成館長と主演の菅田将暉を交えたイベントもあったようです。「館長ノート№49」と下記サイトをご覧あれ・・・。ttps://natalie.mu/eiga/news/340130

さて、櫂直を特別会計監査課課長として海軍省の一室を用意して、平山案の見積もり金額の嘘をあばく作業を始めたが、建造費の見積もりに必要な戦艦大和の設計図も建築資材や人件費などの見積資料を全て隠蔽された櫂直は、窮余の策で史上初めて41センチ砲を搭載した戦艦した「長門」…、排水量基準39,120トン、全長224.94m、最大幅34.59mのこれも「大和」「武蔵」建造前には、竣工時は世界最速・最大の巨漢戦艦であった「長門」に乗船して、長門のあらゆる寸法をメジャーで計る奇行を始める…。櫂の数学的な才能は、全くの素人にもかかわらずそこから大和の建造図面を引き、かつて尾崎財閥の経営する尾崎造船にいた大里造船の大里清(笑福亭鶴瓶)から提供された資料から詳細な軍艦の見積もりを試算した…。この天才数学者櫂が着々と「大和」の建造費を算出していく過程で、最後に軍艦の鉄の総重量から建造費を算出する画期的な公式を発見する。この会議室の場面はやはりこの映画の魅力的な盛り上がりのシーンかもしれませんーネ。

戦艦大和は、アメリカ軍による航空隊386機(戦闘機180機・爆撃機75機・雷撃機131機)の波状攻撃を受け、飛行機からの魚雷攻撃とロケット弾の攻撃で被爆し、火炎吹き上げ傾き、横転しながら巨大な46センチ主砲3基9門が海面にしなだれて沈没するシーンはリアルでした。戦艦大和は、北緯30度43分 東経128度04分、長崎県男女群島女島南方176km、鹿児島県の宇治群島宇治向島西方144km、水深345mの地点に沈んだ…。

この映画を見て私が強く感じたことは、日本の造船技術の優秀さだろうかーナ。科学技術全般に言えることだが、新しい技術は軍需産業の破壊兵器に転用され、いかに効率よく人を殺す科学技術と武器を開発する研究開発の中で、新し科学技術は発見されるものです・・・ネ。高速高精度のエンジンや軽く頑丈な特殊な金属など科学技術と発明は軍事技術の開発の中で発見されるものです。日本の造船技術は、この映画で登場する「長門」や「大和」や「武蔵」などは世界的に大変優れた戦艦だっただろうーナ。恐らく、アメリカ軍とGHQは日本とドイツの科学技術を軍事的機密として、そっくり全部接収横取りし、アメリカの軍需産業に提供されただろうことは想像がつきます。

尚、戦艦「長門」は終戦後、半壊状態でアメリカ軍に接収曳航され、太平洋上のビキニ環礁での原爆実験の標的艦として沈没したようです。