250年続いた平和な幕藩体制にとって、「剣」とは何かを問う時代劇でした。平和を志向するな時代にとって人の命を奪う«武器»とは何か???

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塚本晋也監督池松壮亮蒼井優演じる・・・シネマ・コメンテータの流石埜魚水です。この映画をもう見た?まだ見ていないの?

12月の1本目の映画は塚本晋也監督の『』です。木村大作監督の時代劇『散り椿』に次ぐ、2018年に登場する時代劇の第二作目です。新しい時代劇の予感がしました。農村の手伝いをしながら市助(前田隆成)に剣術を教える浪人・杢之進(池松壮亮)は、農家の家族の離れに住んでいた。江戸幕藩体制から250年経った今、戦乱もない平和で静かな農村でも、勤皇か佐幕か、尊王攘夷か、佐幕開国かで、国内が四分五裂していた徳川体制末期の騒動の余波があった。浪人・杢之進も時代の変化に追いつくために農村から江戸へ出る覚悟をしていた。そこへ、すご腕の剣士・澤村(塚本晋也)が現れ、杢之進の剣の腕を見込んで、天皇御所のある騒乱の京都に彼を誘おうとする。幕末の時代の流れの中で、静かに暮らしている姉弟のゆう(蒼井優)と市助たち家族は、村に流れてきた盗賊のような素浪人たちの群れに襲われ、市助が殺される。その野党の様な素浪人たちの群れを倒して敵を討とうと澤村と杢之進が立ち上がるのだが…。しかし、敵と味方が命の駆け引きをする刀のつばぜり合いのない平安な時代を生きた杢之進には、剣で血を流し命を奪う「剣」の使い道と覚悟がなかった…。1本目は平和な時代の武士社会にとって「剣」とは何かを問う時代劇『』(52018年、塚本晋也監督)でした。更に引いて言えば、人の命を奪う平和と戦争が混とんと交錯する平和なこの今の時代に、«武力»«武器»とは何か…を問うている気がしました。塚本監督らしい時代劇の視点だな…。剣と剣を切り結び、命と命が衝突する殺し合いは、1900年代までの戦争風景ですーネ。兵士が銃口を抱えて敵の姿に弾丸を射撃する戦争は変貌しました。無人飛行機が空爆し、空から銃弾が狙うドローンの戦争は単に「敵」というイデオロギーの属性だけで命を奪い、更に、国家から敵国に向かってミサイルや原爆を飛ばし、瞬間的に都市の市民を大量に虐殺する核戦争時代まで、塚本監督は視野に入れているのだろうかな…???!!!

カニバリズムの戦場描写で知られている、大岡昇平原作の『野火』(1959年、市川崑監督、 和田夏十脚色)に対して、敢えて新しく「野火」リメイク版を撮った塚本晋也監督の野望は、初時代劇作品『』を撮った。つまり、私もこの映画ブログで不満のコメントを載せた作品ー、木村大作監督の時代劇『散り椿』(2018年、岡田准一主演)のカウンター作品のようにも思えました。時代劇に新しい視点を導入した映画かな…!!!。映画冒頭のシーンに、刀鍛冶が刀剣を鍛える「鍛刀」の火花が印象的でした。既にここから、武士にとって「剣」とは何かを強烈に尽き出していました。ただーネ、剣の持つ「精神性」が余りに強烈に前面に出過ぎているナ…とも感じました。もう少し「剣」の持つ政治的道具性の意味を持たせてもいいのではないのかな…???、つまり、徳川時代の長い平和な鎖国と封建性の続いた幕藩体制を維持するための「剣」のシンボリックな道具性、武士階級の権力の象徴でもあったことをもう少し演出してもいいのではないのかな…と思いました。