私は映画を見る時にいつもこの映像で「何を?」を表現したいのか・・・、この作品の主張は「何なのか?」、それはこの映像の「何処に?」あるのか・・・と問いかけます。私はこの作品に答えがまだ出ません。

イメージ 1

イメージ 2

映画のストーリは、バララン~と津軽三味線の様な音色と共に映像が展開される時代劇です。幼児より父・無二斎より剣術を鍛えられて、額から血を流しながら勝つことに異常な執着を持ちながら木刀を握る新免武蔵(細田善彦)の姿から、代々より足利将軍家の剣術師範であり、兵法の名門家である京都・吉岡一門の総領・吉岡清十郎(原田龍二)に試合を挑むため、京都を訪れる剣客・武蔵に成長したした姿が現れる。京都の吉岡一門は父無二斎の終生の敵でもあった。吉岡清十郎に手傷を負わせて破った。立会人の一人清十郎の幼い子息まで落命させてしまう。その後、一門の名誉回復のために挑んだ弟・伝七郎(武智健二)も真剣試合で破り一命を奪った。そのことで吉岡一門の報復から命を付け狙われる…。豊前細川家の重臣・沢村大学(目黒祐樹)は京都・所司代を訪ねる道中で修験者姿の佐々木小次郎(松平健)と出会い、後々に細川家に仕官する。ヒーロー武蔵の名前は、江戸時代より歌舞伎、浄瑠璃、講談などの題材にされ、吉川英治の小説によって武蔵の剣客者としての強さとイメージが伝説のように定着して、武蔵と小次郎還流島の決闘にまでSTORYは展開する。1本目は定番の様な『武蔵-むさし-』(2018年公開、三上康雄監督&脚本、江部公美撮影)の映画でした。

ただーネ、宮本武蔵のTVドラマ、映画、舞台、歌舞伎などこれまで虚々実々の様々な武蔵像が語られて来ました。が、やはり武蔵はそれだけ魅力的な剣客ったのだろうーネ。片岡千恵蔵 や三船敏郎中村錦之助など映画史に残る名優ちが武蔵役で演戯していましたが、チョット今回の新免武蔵役の細田 善彦は異色です。同じ武蔵像の中でも、、三上康雄監督の『武蔵-むさし-』はやや誇張や英雄視された虚飾は削ぎ落とした実像に肉薄しようとしているようです。

例えば、佐々木小次郎との還流島の決闘はこれまでの姿とは全く違い、細川家の重臣・沢村大学が家名を挙げるために仕組んだ決闘のように描かれています。武蔵が船より浜に上陸し、船の櫓を削って小次郎の長い剣と刀を交えた時に、彼の身体に届くように武器にした艪を構えて一撃のもとに雌雄を決した…その時に倒れたが小次郎は生きていたが、立ち会った細川家の家臣たちが彼に近寄って小次郎を殺したように描かれていました。

私は映画を見る時にいつもいつも、映画監督はこの映像で「何を?」を表現したいのか・・・、この作品の主張は「何なのか?」、それはこの映像の「何処に?」あるのか・・・と自分に問いかけるのです。私はこの「武蔵」を見乍ら、執拗にこの時代劇にこの問いを反芻しました。

君主のために一命を賭して藩に仕える武士を現代のサラリーマンの姿と重ね合わせる時代劇もあります。金の欲で悪徳商人と結託して藩の財政を思うがままに動かす家老に正義の鉄槌を下す若侍を主人公にした、恰も現代の不条理に立ち向かう若者の正義感とダブル時代劇もありました。さてはて・・・三上康雄監督の『武蔵-むさし-』は時代劇を通して「現代」の何を描こうとしているのかな???私はその答えがまだ出てません。また、今何故?武蔵を映画で映像化するのか・・・是非ぜひ監督の声が聞きたいですーヨ。