私たちは、TVドラマに慣れ過ぎているので、起承転結のストーリに沿った淡白な演技と説明的なセリフがないと、物足りなくなっています。この『Diner ダイナー 』は私の理解を拒絶する作品でした。


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7月の1本目は、以前は殺し屋だった天才シェフのボンベロ(藤原竜也)とウェイトレスのオオバカナコ二(玉城ティナ)と殺し屋専用のレストラン「ダイナー」が舞台となった『Diner ダイナー 』(2019年公開、蜷川実花監督、平山夢明原作、河合孝典の漫画『DINER ダイナー』)でした。

私は映画を見る時にいつもいつも、映画監督はこの映像で「何を?」を表現したいのか・・・、この作品の主張は「何なのか?」、それはこの映像の「何処に?」あるのか・・・と自分に問いかけるのですが、この『Diner ダイナー 』はそれを全く拒絶する作品でした。原色のサイケデリックな映像の色彩感と俳優たちの全身の入れ墨と純真なあどけないない素顔と、喪失感の強い迷い児のようなウェイトネス姿のオオバカナコ二が舞台の上で混沌とした台詞と身振り手ぶりの連続の映像ですーネ。

私たちは、TVドラマを見慣れ過ぎているので、起承転結のストーリに沿った淡白な演技と説明的なセリフと、即席で演技を完成するTVの表現形式でないと、やはり感情移入ができなく、物足りなく感じますーネ。

比ゆ的にいえばどちらかと言うと、前衛劇団の舞台のようでした。人によっては、こんな抽象的で色彩あふれる映像が大好きという人も居るだろうーネ、でも、『Diner ダイナー 』は、TVドラマの娯楽性の反対側の映像世界なので、この私には映画として全く観る意欲を削がれました。こんな監督は、映画ではなくて舞台で自分の感覚を実験しててほしいですーネ。前作の『ヘルタースケルター』(2012年公開)は面白かったので私は観ましたが、やや期待外れの作品でした。監督の才能の枯渇かーナ。