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江戸時代の幕藩体制と武士社会を経済の視点で歴史を見たのは、磯田道史のベストセラー『武士の家計簿加賀藩御算用者』の幕末維新』を原作とする映画『武士の家計簿』 (2010年公開、 森田芳光監督、柏田道夫脚本)が映画史では初めての作品だろーネ…。戦国時代から徳川の幕藩体制が始まった時、家康は武田信玄の膝元にいた貨幣に明るい武士を貨幣経済発展のために召し抱えたという歴史学者がいた。封建社会もまた貨幣経済が支配していました。そんな新しい武士のお金の世界の視点から描いた映画で、これまでにない時代劇でした。

 

12月に紹介する邦画は、忠臣蔵で知られる大石内蔵助が記した討入り計画の決算書を描いた歴史書山本博文の著作忠臣蔵」の決算書を原作とした映画『決算!忠臣蔵 』(2019年公開、中村義洋監督&脚本)でした。この作品も従来の刀と忠君の時代劇とは違って、どちらかというと磯田道史歴史学の流れをくむ貨幣経済から忠臣蔵を描いた作品、どちらかというと歴史喜劇と言っても良い映画です。大石内蔵助役に堤真一、矢頭長助役に岡村隆史大高源五役に濱田岳不破数右衛門役に横山裕堀部安兵衛役に荒川良々などの俳優を並べて見れば、時代劇で観客を笑わせる台詞と演技に重点が置かれた、て必要以上のお笑いを誘う作品でしょうーネ。まるで吉本新喜劇を見ているようでした。私は、時代劇にそんな過剰なお笑いは見たくない、劣悪な作品だと思いました。

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長野県小諸のとある「精神科病院」を舞台に、不倫していた妻とベッドで寝たきりの高齢の祖母を殺害し、死刑執行されたが、死刑のロープにぶら下がりながら息を吹き返して精神病院に社会から隔離され隠された死刑囚・梶木秀丸笑福亭鶴瓶)と、突然脳裏から幻聴が聞こえ始めた若いサラリーマン・チュウさん(綾野剛)と、母親の再婚相手の夫から性的虐待を受け、妊娠した女子高生・島崎由紀(小松菜奈)など、病院に収監中の誰もかれもが、単に精神を患わっているだけではないく、複雑な心の病で精神病棟に生活している群像の中に起こった殺人事件映画『閉鎖病棟―それぞれの朝』』(2019年公開、平山秀幸監督&脚本)でした。

精神科医である帚木蓬生の小説は、昔、何冊か読んだことがありました。『三たびの海峡』(1992年、第14回吉川英治文学新人賞)も 『閉鎖病棟』(1995年、第8回山本周五郎賞)も重いテーマで、夢中になって一気に読んだ覚えがあります。私の好きな作家の一人です。原作小説を平山がどれだけ脚色したか、良く分かりません。もう一度原作をじっくり読んでみないと比較できないです。今回はその時間を省きました。大変白い映画の終わり方でした…。若い島崎由紀が陶器の作業場に一人いた時に院内の乱暴者に強姦されたことを知った車いすの梶木秀丸が、ナイフで刺して再び復讐殺人を犯す…。絞首刑のロープから生き返った秀丸は再び刑務所に収監され、死刑囚が再び裁判に掛けられる…。裁判は、由紀が法廷で強姦の証言することで終わりました。

明治時代初期に柱とロープの絞首刑執行から死刑囚が蘇生した事件があったそうです、別名を「田中藤作蘇生事件」と言うらしいです。アメリカのドラマにはよく腕に刺された注射針で、薬による処刑がよくシーンにありまーネ。絞首刑にしても、薬剤処刑にしても、法によって人間の声明を奪う死刑制度に反対する意見がたくさんあります。その一つに、死刑は憲法第36条が禁止する「残虐な刑罰」に該当すると言ってます。確かに死刑囚の姿は、肛門からは脱糞する、顔面はうっ血して歪み膨れる凄惨な状態のようです…。ノイローゼや神経耗弱によって日常生活を家族や社会集団の中で送れない人たち…、現代人の心の病に罹った人は増える傾向にある…という精神科医らしい視点がそこにありますーネ。でも精神病院に収監された人たちの多くは、精神が崩壊していても、最後の最後に人間らしい優しさと思いやりを残しているところが、動物から人間の脳に進化した「人間性」の姿なのーナと思いました。この映画から受けた私の感動です。

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蜜蜂と遠雷

今回紹介する作品は、芳ヶ江国際ピアノコンクールに一次審査二次審査と挑むいずれも天才ピアニストピアノの4人…、栄伝亜夜(松岡茉優)と、音楽家ホフマンに才能を認められ師事していた、しかも栄伝の母親から幼少の時にピアノの個人レッスンを受けていた風間塵(鈴鹿央士)、楽器店に勤務しながら「家庭の音楽」を目指すピアニストの高島明石(松坂桃李)、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)が競い合う音楽映画『蜜蜂と遠雷』(2019年公開、石川慶 監督)でした。

 

そもそも、コンクールの審査過程をそのまま全て描く恩田陸の原作小説が大変特異ですーね。いくら直木賞を取った作品とは言え、それをまた映像化するというのも大変異色だナと感じます。果たしてこの映画は音楽を介して「何を?」映像化したかったのかな…???と、考えた時に、映画の中で自分の幼女に音楽の素晴らしさを教える栄伝亜夜の母親が、ピアノの前で周囲の自然のかすかなの音…風の音、雨の音、風の音、小鳥の声をー、ピアノの音で鍵盤の中で奏でることを教えていました。そして「自然は音に満ちているんだよ…」と耳に囁く。あたかも、それが音楽の美しさであり神秘なのだよーと教えているようでした。私は、この映画の題名「蜜蜂」と「遠雷」はそもそも意味がよく分からなかったですが、音楽のすばらしさを人間の耳と体が体感する自然が奏でる音の醍醐味を象徴しているのだーと気がつきました。4人のピアニストが海岸を散策するシーンがある…。遠くの空に雷の光が発光し、雷の音が響く。ア~すべての自然の音を音階として感じ取る特殊な聴覚がこれで、この作品の題名なのかーと気がつきました。でも、原作には「蜂蜜」の描写があるのだろうが、エーでは「蜜蜂」は・・・?この映像の中では特に蜜蜂の羽音のシーンはなかったですーね。そもそもそ、ドレミファの音階そのものの起源を、社会学者のM・ウェーバは、あの有名な『音楽社会学』で、夜空に瞬く星空の星座から音階を説いています。どうも、石川慶 監督は、西洋音楽の合理性と「音」楽そのものの持つ非合理性と神秘性を描きかったのかなーと思いました。この映画で私は、改めて音楽の神髄を教えられた気がしました…。音を譜面にする音楽の合理性と、耳に音響する自然の音の神秘性は拮抗しながらここに描かれていました。

 

音楽領域での映画は名作傑作がたくさんあります。例えば、モーツァルトを主人公に、彼の生涯と死の謎を解くようなを『アマデウス』(1984年、ミロス・フォアマン監督、ピーター・シェーファー原作&脚本)は面白かったですーネ。邦画ではピアノの調律師を主人公にした『羊と鋼の森』(2018年、橋本光二郎監督、金子ありさ脚本、宮下奈都『羊と鋼の森』原作)は、音楽の裏方の音楽職人「調律師」の独特な世界が分かって興味が湧きました…。今回の作品もピアノコンクールの全貌が知れて、これもまた特異な世界が描かれていて興味がありました。

リメイク版ではあるが、邦画では、日本的な家族関係の絡みがあって、ホロリト涙ぐむ人情映画となっていました。

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最高の人生の見つけ方


自動車整備士エドワード・コール(ジャック・ニコルソン)と、金持ちのモーガン・フリーマン(カーター・チェンバーズ)の二人が、末期ガンで入院、余命6ヵ月と宣告されたのをきっかけに、死ぬ前に思い残した願望を実現しようと、冒険の旅に出る『最高の人生の見つけ方/THE BUCKET LIST』(2007年公開、ロブ・ライナー監督)があった。私もこのブログで特選映画にした感動の名作だった記憶があります。それ故に二番煎じのリメイク版の映画化か…と思って鑑賞が遅れました。3本目はこの作品のリメイク版棺桶映画『最高の人生の見つけ方』(2019年公開、犬童一心監督)でした。ただ原案は過去にあったのだが、男2人の代わりに女二人ー、主婦役の北原幸枝(吉永小百合)と億万長者のホテル経営者の剛田マ子(天海祐希)の2人が、病院で意気投合して人生最後の旅に出かける作品でした。幸枝の娘役に満島ひかり、彼女の夫に前川清が共演した。

「死」と言うのは、文化芸術の大きなテーマです。だから、犬童一心監督がリーメイク版で敢えて終末ガンを抱えて、やり残した無念の課題を余命短い日に終えてから死にたい…という映画を製作したかったとして何ら不思議はありません。が、ただリメイク版ではあるが、「死」を作品化した個人的な理由が何か?ありそうな気がします。それでも、邦画では、日本的な家族関係の絡みがあって、ホロリト涙ぐむ人情映画となっていました。誰か親兄弟とか、親友だとが身近な人間が末期ガンで無念の最後を迎えたのかな…と、どうしても憶測してしまいました。

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楽園


少女二人が失踪する事件12年前に起こるー。この失踪事件は、田圃に囲まれたあぜ道のY字路で、二人の小学生・湯川紡( 杉咲花)と 藤木五郎(柄本明)の孫にあたる幼女が分かれた後で失踪する。今回紹介する映画は、廃村寸前の村で起こった失踪事件が映画全体の発端であり、最後まで流れる罪と罰と人間関係の絡んだストーリの主題になる、事件映画『楽園』( 2019燃公開、瀬々敬久監督&脚本、吉田修一原作)でした。

この現代社会ではアメリカでも日本でも頻繁に少女の誘拐・失踪が起こっていますーね。つい先日も台風19号の前に、山梨県道志村のキャンプ場から7歳の少女が忽然と消えた…。周囲の山林をボランティア警察自衛隊が参加して最大で300体制で捜索したが発見できず、一週間後に丁度台風19号かず襲来…、台風の冠水堤防崩壊浸水の水害のテンヤワンヤデで、未だに行方不明のままで人々の記憶から忘れられています。幼女を性の対象とする倒錯した少女性愛者が失踪事件に絡んでいるのかな・・・と私は思っています。インドの貧困地域・ムンバイなどを取材したドキュメントなどでは、失踪した少年少女は、中東の金持の性的愛玩具として売られるようですーヨ。

楽園』では、紡は祭りの準備中に、海外から日本語のたどたどしい海外移住している母親の洋子(黒沢あすか)とともにリサイクル品販売の手伝いをしている孤独な知的障害の青年・豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日に行方不明になった失踪事件の犯人として疑われ追われた結果、遂には疑惑に迫られた村人達の追跡に、パニックになり蕎麦屋の店内で灯油を被って自殺する…。1年後に再び少女の失踪事件が起きる…。どうも二件目の失踪事件の詳細の描き方が不明瞭で曖昧ですーね。で、その失踪事件の犯人にY字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)が疑いをかけられて、その事件の疑惑を口実に村八分にされてしまう。ここに一つの問題が…伏在しています。村落からの外から村に移住している«よそ者»を排除することは、前近代的排除の思想です。

幼女の誘拐事件が発生した。事件が起こる直前までその幼女といたことで心に傷を負った紡(杉咲花)は、祭りの準備中に孤独な豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日、あのY字路で再び少女が行方不明になり、豪士は犯人として疑われる。1年後、Y字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、ある出来事をきっかけに、村八分にされてしまう。

率直に言って、この映画画がよく分からなかったです。何がテーマの映画なのか、私はこの作品を見ている最中も、今でもよく分からないのですーヨ。ただ、この没落しかけた過疎の「限界集落」で起こっている村落以外から移住してきた人々への共同体の排除の体質と思想がテーマかなーとも考えます。それにしても、今更「限界集落」の問題を映画にする必要があるのかな…。瀬々敬久監督に聞いてみたい質問です。

原作小説を読んでいないので、吉田修一は«楽園»にどんな意味を投入しているのか、よく分かりませんがーネ。二人の失踪事件と排除された「よそ者」たち、外国から移住した家族ー、養蜂をするÙターンの住人ー。安心して暮らせ、穏やかな人間関係の中で暮らせる土地・「楽園」を探しながら持てなかった二人が、死ぬ前にともに失望感・「失楽園」の絶望がありました…ネ。

新しくこのブログに映画の観賞コメントを掲載することにしました。主に邦画を中心に載せたいと思っています。yahooblogで今まで掲載していたのですが、yahooブログが掲載中止になりましたので、こちらに移行しました。以前の私のブログは12月過ぎまでは閲覧できるようです。読みたい方は是非「流石埜魚水」で検索してください。

新しく紹介する今回の映画は、未だに文学青年や文学少女を魅了してやまない無頼派作家の太宰治役を小栗旬が、3人の子どもを抱える献身的な妻子役に宮沢りえが、作家志願の没落貴族埜の太田静子(沢尻エリカ)と、夫を亡くした山崎富栄(二階堂ふみ)が、肉体と心を耽溺させる「斜陽」と「人間失格」の誕生秘話を演じるエロスの映像作品『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019年、蜷川実花監督、早船歌江子脚本)でした。

今年2019年は太宰治の生誕110周年にあたるようだ、でもオリンピックとラクビ―ワールドカップの話題ばかりで、どうやら日本人は太宰治を忘れてしまったようです。 愛人の山崎富栄と玉川上水で入水自殺、 遺体が玉川上水下流で見つかった38歳の6月19日の「桜桃忌」には、たくさんの太宰文学のファンが未だに東京都三鷹市禅林寺に参集した筈なのですが、一言半句もニュースには出なかったです。根強いファンがいる筈なのですが、令和元年の青春は太宰治を忘れてしまったようです・・・。彼の破天荒な人生と破滅的な文学の匂いが、どうにもならない自暴自棄の青春の荒廃と希望のない壁に頭をぶつけた時に、共感者となって走り続けてくれる文学なのだろう・・・がネ。

前作の蜷川実花が監督&脚本で製作したの『Diner ダイナー』(2019年、)は、私は失敗作だと思っていました。やはり脚本と監督の一人二役は、彼女には荷が重かっただと思います。脚本の早船歌江子とプロデューサの池田 史嗣との二人三脚も良かったのだろうーカネ、私は大変面白い作品にまとまっていると感じました。

邦画にはどういうわけかミュージカル映画は少ないです。矢口史靖監督が大胆にも和製ミュージカルコメディーを制作しました。私は拍手を送りたいです。

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8月に紹介する邦画は、一流商社に勤務する鈴木静香(三吉彩花)は、拾ったタダ券で遊園地の見世物小屋のマジックショーに姉の子供の子守のために連れていく。小屋のインチキマジッシャン(宝田明)に催眠術をかけられ、曲が流れた途端にリズムにのって歌って踊らずにはいられなくなっていた。翌日から静香は、テレビ番組から流れる音楽、携帯電話の着信メロディー、駅の発車音楽など、街中に流れる音楽に体が勝手に反応してしまう面白ミュージカルコメディー『ダンスウィズミー』(2019年公開、 矢口史靖監督)でした。

ミュージカル映画には長い歴史があります。ジュリー・アンドリュース出演の『サウンド・オブ・ミュージック』(1964年、ロバート・スティーヴンソン監督)は私が小学生の時に見た懐かしいミュージカル映画の名作です。あの頃、音楽の時間に«ドレミの歌»を合唱していました。ニューヨークの下層社会の不良グループの悲恋物語を若い二人を主人公にした『ウエスト・サイド物語』(2016年、ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ監督)も丁度私たち下層階層の日本人の共感を得たでしょうーネ。『メリー・ポピンズ』(1964年、ロバート・スティーヴンソン監督)も楽しい映画でしたーネ。厳格なナチスの軍人の父親と自由な家庭教師の対比は、一面でナチズム批判にもなっていました。私は2回見たと思っています。最近では『ラ・ラ・ランド』_(2016年、デミアン・チャゼル監督)は、第89回アカデミーで6部門受賞した既に名作の映画になっています。ヒュー・ジャックマン主演の『グレイテスト・ショーマン』(2017年、マイケル・グレイシー)もまた、ミュージカル映画の傑作になっています。

でも、こんなに盛んなミュージカル映画なのに、邦画にはどういうわけかミュージカル映画は少ないです。何故なのかな・・・???恐らくオペラのような伝統がないからでしょうね。矢口史靖監督が大胆にも和製ミュージカルコメディーを制作しました。私は彼の作品の中で『WOOD JOB/神去なあなあ日常』が好きですが、また好きな作品が増えて、これもまた傑作映画の一本に数えたいです。特に注目しているのは、主役の鈴木静香役の三吉彩花の演技だろうーネ。OLとして社内のやり手社員のために資料を休日に徹夜で作成する綾香のつかれた表情と、歌って踊っている自由でのびやかな綾香の表情が違っているのに驚きました…。アーレレ、女優が変わっているのかなーと錯覚した位です。演技の下手なアイドルなど起用しないで、こんな埋もれて演技の上手な女優をどんどん抜擢してほしいですーネ。

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