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楽園


少女二人が失踪する事件12年前に起こるー。この失踪事件は、田圃に囲まれたあぜ道のY字路で、二人の小学生・湯川紡( 杉咲花)と 藤木五郎(柄本明)の孫にあたる幼女が分かれた後で失踪する。今回紹介する映画は、廃村寸前の村で起こった失踪事件が映画全体の発端であり、最後まで流れる罪と罰と人間関係の絡んだストーリの主題になる、事件映画『楽園』( 2019燃公開、瀬々敬久監督&脚本、吉田修一原作)でした。

この現代社会ではアメリカでも日本でも頻繁に少女の誘拐・失踪が起こっていますーね。つい先日も台風19号の前に、山梨県道志村のキャンプ場から7歳の少女が忽然と消えた…。周囲の山林をボランティア警察自衛隊が参加して最大で300体制で捜索したが発見できず、一週間後に丁度台風19号かず襲来…、台風の冠水堤防崩壊浸水の水害のテンヤワンヤデで、未だに行方不明のままで人々の記憶から忘れられています。幼女を性の対象とする倒錯した少女性愛者が失踪事件に絡んでいるのかな・・・と私は思っています。インドの貧困地域・ムンバイなどを取材したドキュメントなどでは、失踪した少年少女は、中東の金持の性的愛玩具として売られるようですーヨ。

楽園』では、紡は祭りの準備中に、海外から日本語のたどたどしい海外移住している母親の洋子(黒沢あすか)とともにリサイクル品販売の手伝いをしている孤独な知的障害の青年・豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日に行方不明になった失踪事件の犯人として疑われ追われた結果、遂には疑惑に迫られた村人達の追跡に、パニックになり蕎麦屋の店内で灯油を被って自殺する…。1年後に再び少女の失踪事件が起きる…。どうも二件目の失踪事件の詳細の描き方が不明瞭で曖昧ですーね。で、その失踪事件の犯人にY字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)が疑いをかけられて、その事件の疑惑を口実に村八分にされてしまう。ここに一つの問題が…伏在しています。村落からの外から村に移住している«よそ者»を排除することは、前近代的排除の思想です。

幼女の誘拐事件が発生した。事件が起こる直前までその幼女といたことで心に傷を負った紡(杉咲花)は、祭りの準備中に孤独な豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日、あのY字路で再び少女が行方不明になり、豪士は犯人として疑われる。1年後、Y字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、ある出来事をきっかけに、村八分にされてしまう。

率直に言って、この映画画がよく分からなかったです。何がテーマの映画なのか、私はこの作品を見ている最中も、今でもよく分からないのですーヨ。ただ、この没落しかけた過疎の「限界集落」で起こっている村落以外から移住してきた人々への共同体の排除の体質と思想がテーマかなーとも考えます。それにしても、今更「限界集落」の問題を映画にする必要があるのかな…。瀬々敬久監督に聞いてみたい質問です。

原作小説を読んでいないので、吉田修一は«楽園»にどんな意味を投入しているのか、よく分かりませんがーネ。二人の失踪事件と排除された「よそ者」たち、外国から移住した家族ー、養蜂をするÙターンの住人ー。安心して暮らせ、穏やかな人間関係の中で暮らせる土地・「楽園」を探しながら持てなかった二人が、死ぬ前にともに失望感・「失楽園」の絶望がありました…ネ。